適切に始めるには全体を知る必要があるゆえ、まず始めよということ

まず、大前提として孤独を選んだのは私自身です。私には欲望があり、その欲望を満たすためには孤独が必要だと考えたのです。さまざまなタイミングで人付き合いを省いてきました。そして少しずつ私を交友の輪の中に取り込もうとする人々が消えていったのです。今では晴れて孤独の身です。そうです、私は自ら孤独を求め、今まさに孤独の最中にいるのです。

しかし、人の欲望の有り様というのは時の流れとともに変化するようです。私の心に滾っていた情熱は勢いを減らし、欲望は崇高な目的よりも、生活の実感に向けられるようになりました。部屋にこもることが大切なことだとは分かっているのですが、ついフラフラと家の外へ出てしまいます。太陽の陽射しが無責任な期待を生み、私の体は浅はかな予感に導かれるように外界へ歩を進めるのです。

今日も外は良い天気ですが、今私はぐっとこらえてキーボードを叩いています。このような文章を書き連ねたところで何がどう変わるわけでもありません。これもある意味で逃げているということになるかもしれません。ただ、こうして文字を打つということを日課にして日々記録を付けていくことで何かが起きるのではないかと感じています。量を積み重ねることで何かしらの質を備えることになるかもしれません。

未熟な物書きの私は、なんのゴールもフレームも設定せずに書き始めます。そして、気まぐれに書かれた文字の羅列を眺めながら次に書かれるべき文章を探すのです。今このサイトには少ない文字数しか存在しません。ここからどのようにも展開することができます。それが、私にとっては少し居心地が悪くもあります。文章は書き進むにつれ、その行き先を限定していきます。それまでに書いたことが前提として機能するからです。言い換えれば書くほどに進むべき方向が見えてくるということかもしれません。とにかくまずは、文章を書き続けてみようと思います。植物に水を与えるように、ごく当たり前の日課として、このような駄文を積み重ねていきます。

小説の始まりは全体の中でこそ効果的に働くのです。あるいは、全てが見えた後でなければ適切に始めることができないと言いましょうか。全体を知るたために積み重ねることに集中したいと思います。まだ、私は何も語っていません。私の情熱と欲望と孤独について語るべき舞台を自ら構築する必要がありそうです。

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